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花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ

桜の花が咲きほころぼうとする中、春の嵐がやって来た。
でも幸い桜はまだ咲き始め。
どんなに雨風激しくとも、今はまだ散りません。

それよりも、暖かい日が続くことで、急ピッチで咲き始めた桜にブレーキをかけてくれる嬉しい天気かも!?
気温が下がって一旦停止…とそんなに上手くはいかないみたいだけれども、それでもスピードは緩んだんじゃないかな?

職場のスタッフとお花見の計画を立ててみるが、なかなか都合の良いようには行かず…。
でもなぁ、お花の下でご飯が食べたいんだよなぁ…。
菜の花ご飯の素があるので、お花見のときに作れたらいいな♪


先日見た、NHKスペシャル『命をめぐる対話 ”暗闇の世界”で生きられますか』のことを考える。
偶然にも難病に関わる人生を送っているお陰で、思うことがある、考えることがある。

呼吸器を着けた時点で、”ありのままの命”を生きているとは半分言えない気がする。
それは治療法というよりも、延命処置だと思うから。
医学の目覚ましい進歩で、TLS(完全な閉じ込め状態)になる人が増えているらしい。
意識はしっかりしているのに、身体を全く動かすことが出来ず、他者とのコミュニケーションも取れない状態のことらしい。

もし本当に意識がはっきりしたままであれば、それは想像を絶する苦痛だろう。
でも、本当にそのままで居られるだろうか?
きっとそのうち、心を閉じて、感じること考えることを止めてしまうんじゃないだろうか?

「あなたがどんな状態でも、生きていてくれることに意義がある」それは生者の思い。
でも私は、苦痛を生きている人に、それを言えない。
10年20年後、自分にも何が起こるか分からない中、そのときの感情だけで何一つ約束も出来ない。

人工呼吸器を着けた人に、「死にたい」と文字盤で言われたことがある。
一瞬答えに詰まった。
辛い事があって、そのときの感情で、その人はその言葉を放っただけで、本心ではなかっただろうと思う。
でもそのとき、そう思うんだったら何故呼吸器を着けたのか?と思ったのも事実。
着ける/着けないの選択は、出来た筈なのだから。

呼吸器を装着した人が生きる上に他者の犠牲がつきもので、病気だからと全てが許される訳でもない。
介護者は自分のこと以外に、もうひとりの身体の世話もしなくてはならなくなり、二倍の苦労を強いられることになる。
他人は自分と違って「まあ、いいや」なんて思ってくれないしね。
そこに摩擦が生じることだって、幾らでもあるだろう。
勿論、それら全てが上手くいくケースがあることも分かる。

番組の中で、来るTLSの状況に安楽死を求める人が居る一方、同じ状況でもTLSになっても生き続けるべきだと思う人が居た。
生き続けたいと思う人の言いたいことも分かった。
正解のない問題だけど、多くの選択肢の中からそれぞれが自分らしい答えを求められるように、制度が整備されるといいなと思う。
まだ、癌や一部にしか認められていない麻薬使用も、難病末期の呼吸苦にも認められるようになるといいとも思う。
痛みもさることながら、じわじわと真綿で首を絞められるような呼吸苦は、きっと堪え難いものだろうと思うから。

でも本当は…
桜の花が咲いて散って行くように、本当に本当に人も自然のありのままに生きられたらいいのにね
…なんて思ったりもする。
ぽんのように…。

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