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劇場版ストロベリーナイト

いつも一緒に映画を観に行く友達と、一緒にストロベリーナイトを観に行った。

早々とテレビで見ていた予告から一番最初に感じ取ったのは、菊田との関係に変化がある!?ということ。
もしかしたら菊田が刺されちゃうかも!?とすら思った。

でも、スペシャル番組とかいろんな予告を見ていくうちに、菊田は違う!と思うようになった。
きっと、刺されるのは違う人だと思った。

スペシャル番組で姫川班がバラバラになることは分かっていたけれど、何故バラバラになるのか?どんな事が隠されていて、組織の権力と戦うのか?

そんな感覚で映画館に行った。

姫川はずっと尖っていて、見ているとどうしてそんなに尖るかなぁ?と思うこともしばしばある人物。
でもその尖っているのは、きっと彼女の心の傷を隠すための彼女なりの方法であって、彼女が本当に自分をさらけ出して共感したいと思った女性には、とても優しいとドラマで分かる。
劇場版でも相変わらず尖っていたけれど、ちょっとだけ、日下主任との距離が近くなっている様な空気感があったり、勝俣主任ともまた距離が変わっている感じになっていたり、そんなところも感じ取れて面白かった。

姫川は、事件後の佐田巡査との関わりの中で、その裁判のときの警察官の敬礼で、進むべき道を選択していったと思う。
もし最初の一歩を間違っていたら、また違った道に行っていたのかな?
そんなことを考えさせられる映画だった。
深く深く理不尽な行為によって傷付けられたことによる深い深い心の傷は、その後その人を支えるものが何であるかによって変わってくるのかもしれない。
いじめを受けた人がいじめる側になるのか、いじめられる人を癒す側になるのか、傍観者になるのか別れるように。

牧田と姫川は男女で白と黒で対比される人間像である気がした。
それによって、私達は問われているのかもしれない。
あなたはどんな道を選びますか?…と。

柳井健斗が危ない橋を渡っていたのは、悲しい過去があったからだと思う。
牧田が柳井健斗を可愛がっていたのは、同じような傷を心に持っていたからだと感じる。
牧田が小林を殺したのは、小林の言葉が牧田の心の傷をえぐったからだと思っている。
もし、出所のときに牧田を迎えに来たのが竜崎でなかったら…どうなっていたのかな?
もし、柳井健斗と牧田が出会わなければ…この事件は起きなかったのかな?

変えることが出来ないストーリーは、過ぎて行った人生にも似ている。


ちょっともやっとしたのは、誰もが悲惨と思う様な出来事がなくちゃ傷付いているといえないのかな?ということ。
小さな傷でも沢山傷付けば、それは再生が追いつかない程酷いことになって、取り返しがつかないことになるのに。
ひとりに傷を受けても周りの人を信用する余地が残っているけれど、多くの人に傷を受けると周りが信用出来なくなったりするのに。
そういうのはドラマ性や話題性がないから、なかなか表に出てくることがない。

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