カテゴリー「映画・テレビ」の97件の記事

劇場版ストロベリーナイト

いつも一緒に映画を観に行く友達と、一緒にストロベリーナイトを観に行った。

早々とテレビで見ていた予告から一番最初に感じ取ったのは、菊田との関係に変化がある!?ということ。
もしかしたら菊田が刺されちゃうかも!?とすら思った。

でも、スペシャル番組とかいろんな予告を見ていくうちに、菊田は違う!と思うようになった。
きっと、刺されるのは違う人だと思った。

スペシャル番組で姫川班がバラバラになることは分かっていたけれど、何故バラバラになるのか?どんな事が隠されていて、組織の権力と戦うのか?

そんな感覚で映画館に行った。

姫川はずっと尖っていて、見ているとどうしてそんなに尖るかなぁ?と思うこともしばしばある人物。
でもその尖っているのは、きっと彼女の心の傷を隠すための彼女なりの方法であって、彼女が本当に自分をさらけ出して共感したいと思った女性には、とても優しいとドラマで分かる。
劇場版でも相変わらず尖っていたけれど、ちょっとだけ、日下主任との距離が近くなっている様な空気感があったり、勝俣主任ともまた距離が変わっている感じになっていたり、そんなところも感じ取れて面白かった。

姫川は、事件後の佐田巡査との関わりの中で、その裁判のときの警察官の敬礼で、進むべき道を選択していったと思う。
もし最初の一歩を間違っていたら、また違った道に行っていたのかな?
そんなことを考えさせられる映画だった。
深く深く理不尽な行為によって傷付けられたことによる深い深い心の傷は、その後その人を支えるものが何であるかによって変わってくるのかもしれない。
いじめを受けた人がいじめる側になるのか、いじめられる人を癒す側になるのか、傍観者になるのか別れるように。

牧田と姫川は男女で白と黒で対比される人間像である気がした。
それによって、私達は問われているのかもしれない。
あなたはどんな道を選びますか?…と。

柳井健斗が危ない橋を渡っていたのは、悲しい過去があったからだと思う。
牧田が柳井健斗を可愛がっていたのは、同じような傷を心に持っていたからだと感じる。
牧田が小林を殺したのは、小林の言葉が牧田の心の傷をえぐったからだと思っている。
もし、出所のときに牧田を迎えに来たのが竜崎でなかったら…どうなっていたのかな?
もし、柳井健斗と牧田が出会わなければ…この事件は起きなかったのかな?

変えることが出来ないストーリーは、過ぎて行った人生にも似ている。


ちょっともやっとしたのは、誰もが悲惨と思う様な出来事がなくちゃ傷付いているといえないのかな?ということ。
小さな傷でも沢山傷付けば、それは再生が追いつかない程酷いことになって、取り返しがつかないことになるのに。
ひとりに傷を受けても周りの人を信用する余地が残っているけれど、多くの人に傷を受けると周りが信用出来なくなったりするのに。
そういうのはドラマ性や話題性がないから、なかなか表に出てくることがない。

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ネガティブモデルの人

栗原類という人が、ネガティブモデルと言われて注目を集めている。
まあ、それ自体は別にどうでも良かった。
でも、あんまりにネガティブと言われているのを聞くと、段々腹が立ってくる。
関係ない他人の事なのに。

最初は後ろ向きに聞こえた彼の発言は、聞く度にネガティブとはかけ離れたもののように感じられる。
この人、考え方がかーなりシビアなのかも!?
楽観的なプラス思考ではないけれど、何か言われたからといって浮き足立つこともなければ惑わされることもない。
そう思うと、その動向に興味が出てきたりするから面白い。

今日はzip!でティム・バートン監督と英語で対談していた。
姿形じゃなく、格好いいと思った。
チャラチャラした感じじゃないところが、いいな。

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神田うのの悩み

昨日のナイナイアンサーを見た。
神田うのが出ていて、すぐ人に妬まれたり悪口を言われたりすることに悩んでいると言っていた。

神田うのさんのことは微妙に思っていた時期もあったけれど、今は別段嫌いじゃないし、寧ろその意見に対しては好感をおぼえることも多くなってきている。
ただ、この悩み相談の子育てママの悩み相談の話から見ていて思ったことがある。
実際にはどうか分からないけれどテレビから伝わる言動からは、他人に対しあまり共感しない、自分が普通・当たり前と思っているという印象を受けた。
多分、それなりに言い分はあるだろうし、そのときに他人と比べたりしない、私は私と言っていたのでそれも一理あるとは思うけれど、共感してくれない人に人は共感しないと思うんだよね。
分かってくれる人に心を開いたり、良い印象を持ったりすると思うことが多いと思うんだよね。

自分の生活が自分にとっては普通であるってのは、大抵の人が分かってるし感じていることだと思う。
だからある意味仕方ないことがあるのも事実。
だけど、どう考えても一般的な家庭より生活水準が高いであろうとか、数字で出てくる部分でも「自分は普通」と言い切ってしまうと、それは嫌味にしか感じられなくなってしまうものなんじゃないだろうか?

言葉は自分を表現するというだけのものではないと思う。
コミュニケーションって、どんな形でも送る側と受け取る側があってこそのものだから、どれだけ相手に分かるように伝えるかってのも大事になる。
自分の言動は自分に返ってくるというから、返って来た言葉にも真摯に向き合わなきゃいけないときもある気がする。
心ないことを言う人もいるので全てが全てって訳じゃないけれど、「何でそんなこと言うの?」って相手に答えを求める前に、そういうことを言わせる自分は居ないだろうかって考えるのも必要。
それが変えられないんなら、やっぱり意識を変えて気にしないようにするしかないんじゃないかと思った。

これって誰にでも当てはまる事だよね。
自分でも気を付けなきゃ。

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24時間は長い

昨日からテレビ点けっ放し。
電気の無駄になってないだろうか?

その間、寝たのは3時間。
仕事でよく3時間睡眠で24時間活動することがあるので、無理なことじゃないんだけれど、前の日にその勤務で、帰って来てから3時間程寝て、それから24時間テレビに突入!となると、結構限界。

そんな訳で、昼間にも数時間寝ていた。
ごめんなさい。
録画で後から追いかける。

去年かその前か忘れたけれど、その時見たよりも盛り沢山で充実していたイメージ。
もっとだらだらしているイメージがあったし、地方の住民にとっては大事なところをカットされてたりして悔しい思いをした事も改善されていて、結構見やすくて、ストレスが少なくて済んで良かった。

でも本当は、折角テーマが『未来』だったから、いじめの事とかも少し織り交ぜてあると良かったのになと思った。
沢山の人に応援してもらえたら、きっと嬉しいし元気が出ると思うから。
寄付は、いじめ関連の団体にはいかないのかな?

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命は儚い

いつもはもっと早い時間にかかってくる実家からの電話が、いつもより遅くにかかってきたので変な気がした。
でも、かけてきた母の声はいつもと変わらなかったので、何気なく話をしたのだが…。

向いの家の旦那さんが亡くなったらしい。
まだ50代。
一番下のお子さんは高校生。

母はしきりにお子さんが小さいことを気にしていたが、高校生だし大丈夫でしょ。
それよりも、生活していくのに金銭的に困らないかの方が心配じゃないかな。
他人の私が心配しても仕方ないことだけれど。

段々歳を重ねていくと、同じように歳を重ねた両親が、段々頼りなくなっていくことを実感する。
当たり前のように繰り返される毎日があまりにも穏やかで、つい永遠に続くと錯覚してしまう。
けれど命は限りあるものなんだよね。
元気で長生きしてくれている両親に感謝。
そしてそんな遺伝子を受け継いでいることに感謝。


今日のZEROのいじめに対する言葉は内藤大助さんだった。
いじめられていた人の言葉はそれなりの説得力がある。
でも、やっぱりこの人は心が強かったんだなって思った。
家族には言えないよ。
そこでの普通の自分が心の拠り所だから。
先生は、一度でも言ってダメだったら言えなくなる。
若しくは言いたくない子もいるかもしれない。
インターネットは更に怖いことを招きかねない気がする。
最後の相談ダイヤルが一番建設的かもしれないと思う。

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共感

今日のZEROの『いじめ、いま君に伝えたい。』は鴻上さんだった。
落ち着いた喋り方が、安心感を与える人だと思う。

『逃げろ』
このメッセージは私も頷ける。
だからちょっと嬉しかった。

逃げることは恥じゃない。
戦略的撤退だと思えばいい。
何処かに新しい、自分に合った世界があるかもしれないし。
飛べば傷付くだけの空を、無理矢理飛ぶ必要なんてない。
空はとっても広いのだから。
そんなことを考えて、『ぼうしのとり』を書いたっけなぁって思った。

小学生、中学生は特に、学校と家庭が世界の殆どだと思う。
趣味や親の教育方針などで早くから別の世界を見ない限り、殆どの子どもはそうなんじゃないかな。
だからそこでいじめられること、居場所を失うことは、世界が真っ暗闇に覆われることを意味すると思う。
そしていじめが続くことに疲れた時、心が折れて死を選ぶ。
その前に、何とか苦しいその場所から、逃げ出してくれたらなと私も思う。

でも…でもね。
いじめられた傷は、何年経っても十何年経っても癒えないんだよ。
人と上手く関われるようになるまでに、相当の時間を費やさなければならないんだよ。
そこは…どうなるんだろうね?

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いじめ問題の欠片

ZEROを見ていたら、いじめに対する著名人からの言葉というのがあった。
いじめ問題がかなりの広がりをみせているから、それを受けて始まったコーナーなのかなと思う。

今日は乙武さん。
障害があっても強く生きている人。
いじめにはあったことがあるのだろうか?
跳ね返してきた人なのだろうか?
多分、この人は心の強い人だと思う。

『69億分の1』
命の重みは多分、自殺したコ達自身が一番良く知ってると思う。
傷付ける痛みを知っているから、笑っていじめに耐え、我慢してきたのだろうから。
それでも死を選ばなければならないと決意させてしまうってことを、もっと考えて欲しい。

見ていて涙が溢れてきた。
何だか悲しかった。
分かってもらえてるって、いじめられっ子は思えるだろうか?

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テレビでGANTZを。

映画館で見た以降、全然見てなかったので、約1年振りに作品に触れた。
やっぱり1年経つと、人間はどこか成長したりしているのか、感じ方が変わっていたりするんだろうか?
過去の感想も読んでみて、ふと思う。
本でも映画でもドラマでも。
たまにはそれっきりじゃなくて過去の作品に触れてみるのもいいかもしれない。

今の私には、人間と星人の戦いがパレスチナの戦いやアフガニスタンの戦いのようにも感じたし、
GANTZが首相とか総理とか国王とか、団体の頂点に立つ人そのものまたはその人の思考の象徴のようにも感じた。
また、小学生の喧嘩のような「お前等が先にやった」という言い分も、
何度も問われる「復讐」という言葉も、
とても切なく無意味なものに聞こえてきた。

争いとはとても簡単に起こるものなのだ。
だけど、収束するのはとても困難なものなのだ。
そんなことが描かれている気がする。

加藤という人物は人を傷付けた事がある経験をリアルに持ち、それを必死に自分の中で消化しようとしていたと思えた。
きっと玄野よりも先にそういう経験をしていたから、相手を傷付けることについてまた違った考えを持っていたのだろうと感じる。
そう考えると、最後の多恵のミッションのときに集まったメンバーは、それぞれの価値観や考え方を持ってミッションに従うのか背くのか決めていたのかなって思える。
GANTZはGANTZでそんなメンバーを観察し、その中から後継者を選んだっていう風に見える。
この集団は無作為に集められているようだけれど、何処にでもあるひとつの、例えば国や会社みたいな集団なんだなと思った。

更に。
GANTZのミッションの絶対性から権力者を思い浮かべた。
ただ、絶対的な力がそこにはあるけれど、全てを手にすることは出来なくて。
玄野の場合、全てを救う為には自分を犠牲にしなければならなかった。
そんな風に、上に立つことでメリットを得るならば、それなりの犠牲も必要ってことなのかな。
全部が都合よく片付かないところ辺り、このストーリーは現実じゃないのに、現実が描かれてる気がした。

GANTZ、深いです。
それとも深読みのし過ぎでしょうか?

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東日本大震災の特番

昨日放送された、『自衛隊だけが撮った0311ーそこにある命を救いたいー』を見た。
当時知り得なかった、自衛隊の方々の活動、想い、信念などなどを知ることが出来た。
同じ日本人として誇らしいと同時に、実際私がその場にあったら一体何が出来るんだろうと考えた。
極限の状態になって初めて、その人の弱さと強さが露呈する。
だからきっと、その場にならないと答えは出ないんだろう。

震災の起きたあの日が近づいて、様々な局で震災にまつわる特番が組まれている。
今だから語られる事、明らかになる事、様々ある。
それらを知ることが、明日を生きるためのヒントになればいいと思う。
富士山噴火や東海地震…。
明日、何かが起こるかも知れないそんな場所に、生きているのだから。

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あの日の混乱ー報道の日からー

『明石家サンタ』を見ながら、いつの間にか眠っていた。
起きてテレビを見ると報道の日特番をやっていた。
じっくり見たのは第三部。

特番を見て、あの日の混乱を知る。
情報は錯綜し、正確なものがどれなのかすら分かりにくい。
そんな中、短い時間で物事を判断しなければならない。
そんな、官邸内の混乱。
現場の混乱。

大変だっただろうなぁと思う。
守るべきものは何か、いっぱい考えただろう。

まるで救命救急の現場のようにも見えるが、それは様々な事例と多くの経験で積み重ねてきた実績に裏打ちされた根拠が支えている。
原発事故はそうそうあるものじゃない。あってもらっては困るもの。
未知の体験における判断は簡単なことじゃない。
人として尊敬するかどうかは別として、その混乱の中で管首相は原発に真摯に向き合っていたとは思った。

鮮明に地震の時の記憶が蘇る。
やけに長く、止まない地震の横揺れに、不安になって部屋から出て、玄関先から見える電柱が、大きく揺れているのを目にしたときの恐怖。
原発事故をテレビで知って、「ウルトラマンは居ない」「これは物語じゃない、簡単にハッピーエンドになる訳がない」「そんなに都合よく出来てない」って思っていながらも、反面「どうか大事になりませんように」と祈りながら居たこと。

やっぱりウルトラマンは居なくて、そうそう簡単に都合よく物事は片付かなかった。
でも、原発の恐ろしさを体験し、原発について考え直す機会が出来た。
その後、管首相の決断で浜岡原発は止まった。
起こってしまったことはもう変えられない。
これからどうしていくか…きっとそれが問われている。

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